私はプロフィールに、「パート先では明るくいろんな人と接しているが、実は、家で人と会わずにまったりと引きこもって好きなことをやっていたい願望あり。」と書いていました。
生活のためにパート仕事に行っていますが、本当に、家でパソコンやりながら外へ出ずに人と会わない暮らしがしたいと思っていました。
パート仕事に行きたくないのです。休みの日には丸一日、外に出ないで家にこもっていられることが、私にとってすごく価値がありました。
パート仕事に行くのは嫌だった
しかし、その価値観を変えざるを得ない出来事がありました。先月の、腰のヘルニアです。すごい痛みに耐えなければならない辛い日々を過ごしました。
その後ヘルニアは快方へ向かいましたが、3週間の自宅療養で、ここまで体力も筋力も落ちてしまうものかと、愕然としました。年齢もあるのでしょうか。
毎日仕事に行っていることで、嫌だ嫌だと思いながらも、運動になり、体力を維持していたと気づきました。
ヘルニアにならなかったら、私はきっと「行きたくないのに。こんなことしていたくないのに。家に居たいのに。いつか辞めてやる。」と思いながらマイナス思考でパート仕事に行き続けていたと思います。
元々、社員にしてもパートにしても、仕事において「会社のために働く」という目的意識を、私はどうしても持てませんでした。だから、「会社に勤める」ということに、前向きになれなかったのです。
パート仕事に行く意義を発見
でも私はこのたび、パート仕事に行く意義がわかりました。新たに自覚した仕事に行く意義は、こうです。
まず、仕事に行けば運動になります。通勤も運動です。仕事中も歩いたり、何か持ったり、意識しなくても体力を使います。
次に、仕事に行けば人としゃべります。いろんな人と話せばいろんな考え方の人がいます。刺激になるし、新しい情報も入ります。
更に、仕事をこなすには頭を使わなければなりません。記憶力もフル回転です。頭は使わなければ衰えます。ボケ予防です。
勤め先は、老人初期の私に体力と思考力を維持する機会と場所を提供してくれます。なおかつお金をいただけるのです。
健康でなくなって仕事ができるありがたさを知る
ヘルニア闘病中は、その真逆でした。安静の為にですが、私の理想としていた家で仕事をせずに人と会わずに閉じこもっている生活でした。その結果、体力と筋力がなくなり、頭の回転が鈍くなり、収入が減りました。
会社の為に働くのは嫌だの何のとウンチクを言ってないで、自分の為にパート仕事を続けていこうという考えになりました。
これってもしかしたら、普通は皆さん仕事をする意義として当然心得ていることなのかもしれません。いやその前に、普通は会社の為に生きがいを持って仕事をしている人が多いのかもしれません。
でも私は私なりに自分がパートに行く意味をここで気づけたからよしとします。パート仕事に行くことを、前向きに捉えられるようになりました。
プロフィール更新しました
冒頭にも書きましたが、私はプロフィールに、「パート先では明るくいろんな人と接しているが、実は、家で人と会わずにまったりと引きこもって好きなことをやっていたい願望あり。」と書いていました。
その部分を、本日、この様に書き換えました。
「パート事務をなりわいとする。仕事に行くことで60代の体力を維持しようとしている。職場でいろんな人と話すことがボケ予防になっている。」
120歳までうららかな日々を送りたいという目標は、変わっていません。ただ、人生、楽をしてたら生きていけないということです。
そりゃ、120歳までパートを続けられるはずはありません。でも、あと10年か20年は続けられるかもしれません。自分の体力と、周囲の方の理解があれば、ですが。
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